摂食障害過食症・過食嘔吐無料相談
摂食障害過食症・過食嘔吐無料相談(携帯版)
| 摂食障害者(過食症)の経験談。 摂食障害、過食、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き これらの病気はご本人が思っている以上に心と身体を蝕む怖い病気です。 |
本当にあった怖い話![]() |
| 11年ストップ・そして再発 歩けなくなっても過食嘔吐は止まらない 消えた生理 大人になりきれない依存する心 人生の半分以上過食嘔吐。 年と共に増え続けた過食嘔吐 |
大腸を20cm以上摘出 20年間止められなかった過食嘔吐 増える下剤・減り続ける体重 過食と欝 過食症とキャッシング地獄 自殺まで追い込む過食 |
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11年ストップ・そして再発 女性 主婦 39歳 O型 京都府 |
私がどれだけ過食嘔吐で苦しんできたかを知ってください。 私は今、39歳、小学生の娘2人をもつ母親で、夫も入れて4人の核家族です。 私がダイエットを始めたのは高校2年生のころです。 小さいときからぽっちゃりしていて、体型に軽いコンプレックスがありましたが 高2の時に一念発起して、ダイエットを始めました。 体重はみるみるへり、165センチなのに50キロを切るところまでいきました。 ところが高3になって受験期になると、関心事がダイエットから勉強に移りました。 また親の希望(医学部)に沿わない進路を選んだため 「医学部に行かないなら○○大ぐらい入ってもらわないと困る」と言われ それがものすごい重圧となり、食べて勉強し、食べて勉強しで、あっという間に10キロ太りました。 精神的には親のロボット、いや奴隷であった私は、とりあえず親の指定した大学に進学したものの、心は空虚でした。 しかし小さいときから「他人よりいい成績である」ことに最大の価値を置く母親、それから常に父親の顔色をうかがう生活 親が気に入らないことがあれば、さとすよりまず殴る・たたく。 そんな家庭から離れて下宿を始めたときには本当にせいせいして嬉しかったです。 一人暮らしがさみしいという友人が信じられませんでした。今でも親のことは嫌いです。 下宿を始めてとりあえず再びダイエットをして5キロぐらいやせたものの その後にはすぐ過食し、嘔吐するようになりました。 嘔吐することをどうやって知ったのかは覚えていません。 多分やってみたらすぐ吐けたのかな? 最初は1週間に2回ぐらいだったし、「食べ過ぎちゃったなー」ぐらいで まさかこれが長く苦しい過食嘔吐の入口だとは思っていませんでした。 3年生になると、過食嘔吐を1日に最低1回はするようになりました。 友達が誘ってくれても、なんだかんだと理由をつけて断り、頭の中は今日の食べ物はどこで買うか、ということでいっぱいでした。 4年生になると、卒論を書くことが主な作業となり 時間に融通がきくようになったこともあり、過食嘔吐はエスカレート。 1日に3回、4回と過食嘔吐を繰り返し、食べ物がなければ卵とバターと小麦粉を混ぜて あっという間にクッキーのようなものをオーブントースターで焼いて食べるようにさえなりました。 当然勉強は進まず。集中力も低下。 ものを口に詰めこみながら、無意味に本やノートを机に広げ、夜明けまでただただぼんやり眺めていただけの日も数知れず。 「あなたの論はおんなじところを回っているばかりで全然進んでいない」と指導教官にも怒られ ものすごく焦りは覚えたものの、下宿に帰ればやっぱり過食嘔吐の連続で、「助けて、私はどうなるの」と半狂人のように感じていました。 それでも何とか卒業し、過食嘔吐も誰にも知られず、会社に就職しました。 その部署で初の女性総合職として採用され、気持ちだけは「私が頑張らないと後が続かない」 「やらなくちゃ、やらなくちゃ」というものでしたが、やはり寮に帰れば過食嘔吐。 休日も同僚の目を盗んでトイレで嘔吐、という悲惨な毎日で、仕事中も集中力が続きませんでした。 23歳の時今の夫に出合い、24歳で結婚しました。 夫がすぐに海外に赴任したため、新婚生活は海外で始まりました。 生活が激変したこと、また実家の戸籍からも名を抜き、完全に法的に親から離れたことで、ぴたりと過食嘔吐が止まりました。 海外からは1年少々で帰国したのですが、結婚後11年間、全く症状が出ませんでした。 この間妊娠・出産で2人の娘を授かりましたが、その間も平穏に過ごすことができ 「あの苦しい過食嘔吐の時代は何だったのだろう」と思うくらいでした。 ところが何と11年もたってから再発。 スポーツを始めて少しやせたところ、「この体重をキープしたい」と思い始めたのがきっかけです。 我ながら本当に信じられませんでした。 どうしてまたこの病気が出てきてしまったんだろう。 まるで壁に塗り込められた死体から怨霊が抜け出し、私の血の中を巡り始めた、そんな恐怖をおぼえました。 「どうしよう、どうしよう」と思っているうちに それまで晩ご飯の後にしか過食嘔吐していなかったのが、ある休日午前11時ごろからしてしまったのです。 これはまったく、学生のころ、たどったのと同じ経過です。 ということは、一日に3回、4回と過食嘔吐し、食べ物のこと以外は何も考えられない日が再び来るのか… この考えが頭の中をよぎったとき、すでに経年増加の経験が一度ある私が感じた恐怖心は並大抵のものではありません。 嘔吐したとたん、次の食べ物のことを考える… 目の前にやらないといけないことはたまっているのに、食べることばかり考えて動けない… すべてのことが面倒になり、まるで引きこもり状態で食べ続ける…、なんと恐ろしいことか。 人間であって人間でない。そう、覚せい剤の常用者と同じです。 ボール玉になって、その坂を転がり始めた自分が自覚できました。そしてすがるような思いでセンターにやってきました。 11年間も止まっていたのはなんだったのだろう…。 結局、環境の変化で辛かった心を封じ込めていただけなんですね。 母は私を肉体的・精神的に追いつめ、私は過食嘔吐。では私の宝物である二人の娘はどうなるのか!? それを考えると、絶対に完治しなければならないと思います。 私には男の人に走るとか、借金をしてまで食べ物を買う、とかの経験はありません。 だからちょっとインパクトに欠けるかもしれないけど この病気の恐ろしさはまさに「心とからだをむしばむ」という一言に尽きると思います。 停止しても、多分また再発します。 この病気は一度は自分の心に深く深く向き合わなければ絶対に治りません。 11年の停止を経験した私が保証します。(保証などされたくないですけどネ!) 一度しかない人生を無駄にしないよう、いっしょに完治をめざしましょう。 |
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歩けなくなっても止まらない過食 女性 看護士 25歳 A型 神奈川県 |
| 昨日、初めて知ったのですが今私の職場に過食症の患者さんがいます。
彼女は年齢は私とほとんど変わらなくて見た目じゃやはり全然過食症なんてわからない。 彼女は過食症とアルコール中毒を併発しているそうです。 多量のアルコールが原因で太ももの骨が壊死してしまい 歩けなくなり、今回壊死をした骨を切る手術をしました。 若いけど骨がもろくてスカスカだから長期間のベットの寝たきりの安静期間が必要となります。 もちろんトイレも差込の便器でベットの上。 食事も寝ながらだし、着替えだって一人じゃできない。 だけど精神科から処方されている薬を1日30粒以上飲んでいて 呂律は回らないし失禁してしまうこともある。 手はひどい吐きだこがあった。。 私と彼女。 ただ、今は立場が逆なだけで本質は一緒なのだと思うと本当に過食症は怖いと思いました。 自分だってこうなる可能性があるんだと思うとやっぱりちゃんと治療していかないとならないということを実感しました。 |
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20年間止められなかった過食嘔吐 女性 会社員 38歳 O型 大阪府 |
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20年目です。
過食嘔吐が食べても太らない便利なただの手段であり いつか自然に治るだろうと過食症の怖さを知らずに、すでに20年苦しんできました。 環境が変わったら、結婚したら、○○したらきっと治るだろうとの淡い期待はことごとく裏切られました。 前歯の裏のエナメルは溶けて歯は薄くなっていますが 治療するとしたら差し歯かインプラントしかないと言われました。 過食の症状が出始めると、食べられない時間はイライラし通し 他のことに集中できなくなり食べ物以外考えられなくなります。 とても人間らしい生活とは思えません。 過食にかける無駄な時間もお金があれば他にいろいろなことができるにと頭でわかっていても止められません。 たばこやお酒が止められても過食嘔吐がどうしても止められません。 もし、食べ物を買うお金がなくなったら???万引き?盗み? この先には未来がありません。 自分で積極的に治そうと、食べたい自由にしたい暴走したいインナーチャイルドをどうにかしないと きっと道は開けないのだと、ここに出会って思います。 過食嘔吐が病気であって 自分の他にも苦しんでいる人がたくさんいることを知らなかった私は自分でどうしたらいいのかわからなかった。 見てみぬふりをするしかなかった。 もっと早い時期にみんなに会えればよかったと思いますが今からでも遅くないと ここで会えたみんなから勇気をもらってこれから一緒にがんばっていけたらと思います。 |
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消えた生理 女性 学生 22歳 A型 千葉県 |
私は過食嘔吐が発症したのが去年の7月。
元々周期が短かかったのですが、3日ほどで終わる生理が全く来なくなりました。 原因は、半年で58→48に落とした無理なダイエット 一日2回ほどの普通食嘔吐で、体を酷使したからだと思います。 心配になって産婦人科に行きました。 卵巣、子宮に異常はないのですが 排卵を起こさせる脳の信号が出ていないかも知れないって、言われました。 ホルモンの精密検査をする為に採血だけして帰ってきました。 1週間後に結果が出るらしいです。 でも、ちゃんと信号が行くようになるまで2,3年は平気でかかると思います。 その間に生理がないと、子宮と卵巣が萎縮してしまうのでピルで生理を起こさせるそうです。 摂食障害で嘔吐していることも言ったのですが やっぱり産婦人科の先生なので、嘔吐が体に与えるダメージまでは知らないようでした。 子宮を今すぐに使うわけでもないけれど、萎縮して元に戻らなくなるのは本当に怖いです。 努力して、授かる事ができるのなら、今はちゃんと体を管理しようと思いました。 生理が来なくなった時は、楽になったとかのんびり考えていたけど 過食症と言う病気がもたらす被害はこんな所まで及んでいるのか、と恐ろしくなりました。 変な癖、、、って思っていたけど、病気ってわかって良かったと思います。 この病気がもたらす体の故障は本当に怖いです。 みんなに、この病気の怖さを気づいてもらいたい 大好きな人との子供が欲しいです。 |
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増える下剤・減り続ける体重 女性 自営業 30歳 A型 奈良県 |
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11歳の時、母の病死がきっかけで過食症が発生。
当然ぷくぷくと増え続け、14歳の時には63kgになっていた。 クラスメイトから「デブブス」といわれる日々が続き,ダイエットを始めた。 最初の頃はほとんど食事を取らないようにしていたが いじめと食べたいというストレスから過食嘔吐、体重をコントロールするため下剤を服用するようになっていた。 痩せていく内に周りの目もだんだんと変化し、反対に「綺麗になったね!』と言われるまでになった。 痩せるのが益々快感になると同時に下剤が手放せない。 一日2錠ほどで効いていたのが、24歳の時には15錠〜20錠飲まなければ効き目が感じられなくなっていた。 (下剤の量が増えると腸管でけいれんがおきて、十分に排便できなくなるそうだ。 それを薬の効き目が弱いと感じて更に量を増やしてしまうケースになっていた。) 一日に何度もトイレに駆け込むけど出るものがないから水分がほとんどの状態。 低カリウム血症で通勤中の電車の中で倒れる事も何度かあった。 自分の生活費、過食嘔吐をするための食費(当時ほぼ毎日2〜3時間)、薬代(下剤)を稼ぐため 朝、夜と無理して働かざるおえない毎日。 自分自身を追い詰めている事は分っていたけど、それでも「太る」と思う恐怖感が頭から離れない。 外見ばかり気にしている卑屈な自分と、やっている事の異常さに気付いた頃には 過食嘔吐、下剤の乱用(大量摂取)が原因で、普通、少食嘔吐をするぐらいになるまで心も身体も衰弱し入院するはめに。 現在、結婚してからは夫(自営業)の仕事を手伝いながら,心療内科に通院中。 経済的なストレスはなくなったけど、過食嘔吐は週1回あるかないか。 下剤は一錠ずつ減らしながら(それでも8錠)常用している。 けど、普通、少食嘔吐はまだ回復していない。 うつ病の薬も服用している。体重は既に40kgをきっている。 この場所と出会って、真剣に恐ろしい病気なんだと自覚が持てるようになり やっと自分自身を見つめ治してみようと思える気持ちになれた事を感謝します。 |
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大人になりきれない依存する心 女性 自営業 46歳 A型 東京都
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過食症を意識し出したのは20歳位から、きっかけは大学受験失敗からだったと思う。 その後は過激はダイエットの結果 生理不順 偏頭痛 精神的不安定。 そのバランスを取ろうとしてか、過食をして吐き出すことにより 自分がリセットされる感覚を覚えていた。 しかし それは全くの錯覚であった。 その後 意識にのぼらない位 日常に過食 嘔吐を繰り返していたと思う。 でも外見は スタイルもよく ハツラツとしているよう演じてきた。 でも、精神は病んでいった。 世間で成功すればするほど 過食は進み 不倫も当たり前のようにしていた。 罪悪感ゼロだから たちが悪い。 自ずと私の体は病み 不妊症になり長い不妊治療をすることになる。 そして 39歳の時には甲状腺癌にもなった。 主人との結婚生活も ほとんど破綻していたと思う。 そんな中 突然主人が他界した。 その後 半年はうつ病になった。 今は ひどい偏頭痛に悩まされている。 子供も思春期で反抗的になってきて 私は過食に逃げてきた。 でも もう精神的に限界なのを自分で感じてきている。 このままいったら 自分が壊れていくのが。 人一倍努力して 達成して それでも満たされない。 自己評価が低く 子供も誰も心底愛せない。 このままいったら 私は精神的に破綻してしまうだろう。 何かに依存して これまではきた。 それは過食であり セックスだったのかもしれない。 でも 自分にはわかっている。 そんなことで 本当の心の平和は訪れないと。 |
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過食と欝 女性 自由業 34歳 A型 東京都 |
私は過食症が始まってから、もう16年経ちます。 過食症は治さないとこれだけの時間を浪費することになります。 私の人生のほぽ半分が過食だったということです。 もともと食べ物に好き嫌いが多くて、小食でした。体もすごく痩せていました。 でも母が、糖尿病の危険があるとかで、ダイエットを始めた時にそのダイエットに付き合うことになりました。 高校1年生でした。 ご飯を減らして、毎日のウォーキング。 もともと46キロしかなかったのに、さらに3キロ痩せました。 その時の「ご飯は太るもの」「運動は毎日」という固定観念が今もなかなか抜けません。 その後に受験のストレスから、過食が始まりました。最初はクッキー一箱。 (マクビティーのダイジェスティブビスケットにクリームの挟まったやつでした) その時のことはよく覚えています。食べた後に「あ、全部たべちゃった」って思ったのも覚えてます。 それから、デッサンの研究所の帰りに母に見つからない様に、お菓子を食べてました。 それから、どんどん過食の量は増えました。 お菓子一箱なんかでは済みません。 仕事を始めてからは、ほぼ毎日、仕事帰りにお貸しやパンを買って 実家の時は家で過食できないので、外で過食してから帰宅するような始末。 ひとり暮らしを始めたら、自宅で仕事が終わってから 仕事場で残ったパンを沢山もらってきて本当に何個も食べました。 私は嘔吐がないので、体重もあっというまに60キロ近くまで増えました。 これは経年増加です。過食の量は減る事はなく確実に量が増え続けます。 外食で過食することも増えました。 お昼ご飯に2軒3軒と廻ることもありました。お金もとてもかかっていたと思います。 それから、過食が、例えば仕事場の移動や引っ越しなんかがあると 軽い初期停止みたいな感じで何ヶ月も止まることも何回かありました。でも必ず、再発。 一番長く止まったのは、妊娠中の時でした。一度も出ませんでした。 でも産まれてからはまたすぐ始まって、その時も体重は60キロ近くになったと思います。 過食は本当にきちんと治さないと、こうして再発を繰り返します。 そして、病気ときちんと認識しないと人生の半分もの時間をこうして無駄に浪費して、心をすり減らしていくことになって そして食べ物のことしか考えられなくなって楽しい幸せな生活からどんどん遠くなって行きます。 過食の次の日は、必ず顔とか体がむくんだりします。 偏った種類の食べ物を沢山摂取する事は本当に体によくないって頭でわかっていても、コントロールできないのが、この病気です。 私は過食で太った時に、周りから「たくましくなったね。」上司からは「デブ」と言われたこともあります。 だから、周りから褒められる様に仕事を本当に頑張りました。 自分自身の体がそうして評価されないのであれば、仕事で評価してもらうしかなかったからです。 5年間、月に3回や4回の休みでほとんど働き続けました。 立ち仕事と若いのに年上の人を使う仕事だったので、精神的にはもうギリギリでした。 そして仕事を辞めると決めて、結婚した後、重度の鬱になったのです。 頑張る事で自分をなんとか保てるこの病気の私には、鬱になるのは地獄です。 やりたいと思っても体が動かない、朝起きられず掃除も洗濯もできない、ご飯も作れない、当然働きたくたって働けない。 そんな体なのに、アルバイトの面接に行ったことだってありました。 それで、どんどん鬱はひどくなって行きました。 寝た生活は2年続きました。 その間、電車も乗れない自分に、「死にたい」と思って溜めていた抗鬱剤を沢山飲んだりしたこともありました。 鬱の間ももちろん過食です。こうなるともう二重苦です。過食症になると鬱を併発することが、本当に多いようです。 精神科の先生もそうおっしゃっています。 鬱と過を併発した時 本当に生きることの意味なんてあるのだろうかと、思いました。 だから、病気を完治させて、本当に生きるということを私は味わってみたい。 自分の為に生きるっていうこと。自分の人生は一回しかありません。そしてみんな致死率100%です。 その中に、「過食の完治の為の最大限の努力」の時間がほんの少しあっても私はいいなって思いました。 だから、今、 みんなといます。 そしてここに来るみんなと一緒に病気を完治させたいと強く思います。 そして、過食症はれっきとした心の病であること 体の病気での死ということだけでなく、精神的な死、心が死ぬという意味も含めて病気であることを認識して欲しいと思います。 |
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人生の半分以上過食嘔吐。 女性 主婦 36歳 B型 兵庫県 |
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私は過食嘔吐22年です。 22年ってみんなに想像できますか?あり得ない・・・と思う人もいると思う。 私自身、22年もこの病気でいるなんて思えなかったし、どうして22年の間に治せなかったのか? また22年も体を酷使してきてよくこれまで生きてこれたなとも思っています。 嘔吐を知ったのは友達からでした。 痩せたい願望が強かった私は吐くことがそんなに怖いとも思わなかった。 家族(特に母)からどんどん女らしくなっていく体型をジロジロ見られることに耐えられなくて、痩せて自分を変えてしまいたかった。 私はずっとこの病気になったのは家族や友達のせいだと思っていました。 行きたくなかった進学校に行かなければ、友達から吐くことを聞かなければ、この病気にはならなかったのに。 ずっとそう思っていた。 でも、ここにやってきて、‘なるべくしてなった病気だな’と思うようになりました。 過食嘔吐のきっかけは友達からの一言だったけれど 私の育ち方、生き方は過食嘔吐で紛わさなければやっていけなかったと思うのです。 家庭は物心ついた時には父母、嫁姑関係は最悪でした。 母は自分が一番不幸な人だと思う人でした。 「あの人(父のこと)と結婚しなければ」 「この家の中で自分だけがよそ者だ」 「子供なんて産まなければ」 「一人ならもっと自由に楽に生きられたのに」 と、自分の存在を否定されるような言葉をずっと聞かされてきました。とても辛かった。 でも、私は自分のことよりも母のことを可愛そうだと思ってあげなくてはいけないと思ってきました。 家族がみんな仲良くなってほしかった。 祖母の悪口を言う母と母のことを認めてあげない祖母との間に立って どちらにも肩入れせずに中立を取ろうとしていました。 子供のままではやっていけなかった。 感情なんて持たない大人になりたいと思っていました。 そのつけが中学生になった頃に出てきたのだと思います。 最初は拒食でした。 中学2年の頃に過食嘔吐を知りました。 経年増加は正直なところよく分かりません。最初から毎日過食嘔吐していたから。 一人暮らしを始めて家族から開放されたときが一番症状としては酷かったと思うけれど、心は楽だったような気もするし。 22年も経て、今だから母との関係も自分の病気のこともようやく認めていける年齢になってきたのかなと思います。 なるべくしてなってしまったこの病気。 危険は承知の上でも私にとっては生きるためには必要だった。 でも、その反面、この病気になったことで失ったものも多いです。 楽しめるはずのものも、感情鈍磨のせいで、私にとっては虚しいだけだった。 私は今までまともに生理がきたことはありません。排卵が自力では起こせないのです。 生理がこないことが、これからの人生においてどんな影響を及ぼすのかは分かりませんが、きっと何かのつけは来ると思っています。 これまでの人生でもとても辛い思いをしました。 私の子供は不妊治療でようやく出来た子です。 結婚して子供が欲しいと思っても出来ない苦しみ それは、自分がやってきた過食嘔吐のせいかもしれないということが更に自分を追い込ませました。 私は22年もかかってしまったけれど、それでもこの病気の怖さを今ごろ真剣に考えることが出来て、良かったと思っています。 でも、22年は本当は長すぎる。 22年も皆には苦しんで欲しくないのです。 放っておいたらあっという間に22年も30年も(一生も)あっという間です。 みんなが‘今’気付けたことが救いです。簡単には治らない病気。 でも私のように病気と長く付き合わないうちにサヨナラしてほしいなと本当に思います。 22年なんて簡単には言い尽くせられない。 でもこれまでを無駄にはしたくないです。自分とみんなの完治を心から願います。 |
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過食症とキャッシング地獄 女性 主婦 30歳 A型 群馬県 |
私は14歳のときに拒食症になりました。 当時身長154センチ体重25キロという死の直前の状態になりました。 15歳になってようやく食べられるようになりました。 でも食べ方が異常でした。この時点で過食に移行していました。 医師は「体重を増やす為に必要な事だから問題はないよ」とおっしゃりました。 でも標準体重になっても過食は止まりませんでした。 ただ拒食症は治癒したと診断され通院は終了しました。 そのまま16歳の時には身長156センチ体重が72キロまで達しました。 これは私が嘔吐なしの過食のみの症状なので当然の結果です。 このままでは成人病になると思いダイエットをはじめました。 この時点で太っている醜い自分がとっても嫌いになっていました。 そしてここまで放置した医師と両親を呪いました。 太っているコンプレックスで何事も消極的で人に対して壁をつくり、常に孤立感と孤独感を感じる様になりました。 母親の協力のもとダイエットを始めましたが過食でリバウンド。全く成功しませんでした。 大学進学とともに一人暮らしを始めると、ダイエットは更にエスカレートし 一時期1ヶ月で10キロほど減らせましたがまた過食が再発し減量も思うようにできなくなりました。 両親の仕送りだけではダイエットと過食の費用がまかなえなくなりバイトを始めました でも、それでも足りずローンを組み間始めました。 この頃やっていたダイエットはエステと健康食品です。 ローンは社会人になってさらにエスカレートし 最長の返済計画なのに合計で月々8万近く返済に迫られるほど何社ともローンを組んでいました。 ダイエットと過食の繰り返しで減量できない自分に「なんて意志の弱い人間なんだ」と年々自己評価が落ちました。 ダイエット依存になり数百万円の借金をかかえることになりました。 多額の借金と治らない過食の恐怖から将来が見えなくなり自暴自棄になりました。 会社ではこれらの不安を少しでも考えない為に、 そして世の中で一番下等な自分が犠牲になることで安心感を得る為に 睡眠時間3〜4時間で15時間労働の責任ある仕事を6年間続けました。 当然心身共にボロボロになりました。でもおかげで少し痩せました(やつれましたが正しいかな) 週末になると張り詰めていた気持ちがほどけ、結局過食をしていました。 過食後は酷い自己嫌悪となりそんな人生がもう嫌になっていました。 「いつ死んでも良い」と思ってはいても両親に迷惑をかけたくない どうせ死ぬ勇気なんか無い事がわかっていてそんな自分を情けなく思い 更に自己嫌悪になり最終的には「世の中で自分が一番最低な人間だ」と考えるようになりました。 だからどんなに評判の悪い人にも優しく接する外面的には「誰にも優しい人」と言われる様になりました。 おかげで絶対弱みを見せられない立場の上司(役員)にまで悩み相談をされ 不倫関係となりドロヌマの結末を経験しました。 私にとってこの病気で一番怖いと感じたのは過食の症状からきた「心のゆがみ」でした。 きっとこのセンターに出会えなければ命を絶っていた危険性があったと思います。 本当にこのセンターに、みんなに出逢えて良かったよ! みんな本当にありがとう |
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年と共に増え続けた過食嘔吐 女性 会社員 28歳 O型 神奈川県 |
まず 何といっても 年々増えたり減ったりを繰り返しながら増えていく病気だということ。経年増加といいます。 私は19歳の頃過食嘔吐を覚え、その当時の頻度は週に2-3回、金額も500-800円程度。 3年後、22歳の時 一瞬(2ヶ月ほど)一日中になり、一日一万円以上使う日も。 9年目の今も、センターで随分回復したけど、9年前と同じ内容では絶対に満足できない。 過食衝動は、時と所を選ばず起こってくるので、旅行中であっても過食嘔吐は止められないことが多い。 誰かと一緒に行動している時に、過食衝動が起こると、一人にして欲しくてイライラしてしょうがない。 (これは〜出来ないだろう、というような状況でも止められない。 我慢して止めると、可能になった瞬間からタガが外れたようになる) 21歳の時、海外旅行中4日間 嘔吐なしで過ごしたら、帰ってきてから1週間は過食のことしか頭にない状態になった。 いや帰りの飛行機の中でもうめちゃくちゃ食べてた。 出張に朝一の飛行機で出かけなければならない日の深夜、準備をしなければいけないのに過食嘔吐してしまい なんて不便な病気なんだろう、と思った。 吐けないor吐き切れないと、どんどん体重が増えてしまうこと。 過食症になる人は、決まって「誰からも好かれたい」という性格を持つのに、これは耐え難い。 「誰からも好かれたい」ので、たいていの過食症人は「頑張りや」で「努力家」で「世話好き」 (そうじゃない子は見たことがない) でも、過食に使われる(使わざるを得ない)時間・お金・体力は年々増えていき 「頑張る」ことも「努力」することも「誰かの面倒を見る」余裕もなくなっていく。 そして過食費だけに、月に何万円も使うことが普通になってしまう。 過食の時間がどうしても必要になるので、過食にかかる時間が一日2時間だと一日が22時間なのと一緒になってしまう。 睡眠時間が少なくても身体がもつ20代前半は平気でいられることが多い。(私の場合) 27歳になると、平日フルタイムで働きながら過食嘔吐に3〜4時間も使うのは、生活破綻寸前だった。 そして 増え続ける症状におそろしくなり、センターに相談。 悪習でも趣味でもなんでもなく、心の病気ということを知った。 |
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自殺まで追い込む過食 女性 無職 35歳 O型 群馬県 |
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